皆さん、歴史の時間に「鳥羽・伏見の戦い」について勉強された事があると思います。
時は、江戸末期(1868年)、新政府軍と幕府軍が4日間にわたって戦いました。
場所は、現在の南区・伏見区にあたります。
兵力は、新政府軍が5,000人・旧幕府軍が1万5,000人と言われており、兵力だけで見ると旧幕府軍が圧倒的に優勢でした。
その結果は、旧幕府軍の惨敗で幕を閉じました。
両軍が対峙した初日、薩摩藩の大砲が火を噴き、この砲声が合図となり戦闘が始まりますが、旧幕府軍は、不意の砲撃に多くの兵がなすすべもなく敗走。
また伏見奉行所も新政府軍の砲撃で弾薬庫が炎上し使用不能に。
翌日には、伏見区の淀のあたりまで撤退していた幕府軍に対し、新政府軍は、天皇の正式な軍であることを示す錦の御旗を掲げたのでした。
いつの間にか自分が朝敵になってしまったと悟った将軍徳川慶喜は、僅かな手勢だけを引き連れて江戸に逃走する始末でした。
長きにわたって日本の政治の中心を担ってきた徳川家がその権力を失墜させた瞬間は、なんとこの伏見の地で起こったんですね。
この鳥羽・伏見の戦いから始まったいわゆる戊辰戦争は、函館の地で旧幕府軍の降伏によって終結します。その後、明治新政府が樹立され日本の近代化が進んで行くことになります。
そんな歴史が変わった瞬間を見届けた伏見の地には、伏見城跡や鳥羽伏見の戦い記念碑などの観光スポットがあり、当時の戦闘の様子や歴史的背景を学ぶことが出来ます。
伏見稲荷大社をご参拝された後に、立ち寄ってみられてはいかがでしょうか。