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土人形の元祖は、伏見人形!

皆さんこんにちは。皆さんは伏見人形という人形をご存じですか?

京都市伏見区稲荷大社付近でつくられている土人形です。

稲荷山の埴土(はにつち)を用いて始められ,日本の土人形で最古の歴史をもつといわれています。さすが京都ですね。このお人形さんも最古の歴史ですか!


安土桃山時代から伏見稲荷の門前で生産販売されたと伝えられ,江戸時代には各地に製法や形式が伝播したそうで、土人形の元祖とされています。幕末から明治初期にかけては50余軒の窯元が存在し、当時の繁栄ぶりがうかがい知れます。


伏見人形の特徴は、赤、青、白などの鮮やかな色彩や滑らかな表面であり、手の込んだ細かなデザインが魅力です。多くの伏見人形は干支や縁起物を題材にしており、幸福や繁栄を祈願する意味が込められています​。


伏見人形にはたくさんの種類がありますが、中でも「耳土器(みみどき)」は、伏見稲荷の催事に使用される人形で、古来の日本における土器の一種と言われており、特に京都の稲荷信仰と深く結びついています。

この土器は、豊作や商売繁盛を祈願するために重要な役割を果たしており、祭事において神聖な儀式の一部として供えられます。

耳土器は「耳」と呼ばれる特徴的な突起がついており、神への祈りを届ける媒介とされています​​。

この伏見人形ですが、現在、稼働している窯元は、たった1軒のみだそうです。伏見人形の歴史がこの先も継承されていけばいいなと祈念せずにはいられません。

先の戦で焼けまして

皆さん、こんな京都あるあるの笑い話を聞いた事がありませんか?

生まれも育ちも京都の人と遠くから来られた観光客のやり取りです。

京都人「このあたりも、先の戦でえらい焼けましてな~。」
観光客「え~。京都にも空襲があったんですか?知りませんでした!」
京都人「何言うてはりますのん。応仁の乱ですがな~。」


この笑い話は、京都が長い歴史を持つ伝統の街であることをユニーク(自慢げ)に表現していますね。なかなか上手に表現されていると思います。

応仁の乱はご存じの通り、1467年にはじまり、10年間にわたり続き、京都の街は大部分が焼失してしまったそうです。

もちろん神社仏閣も同様に被害を受け、伏見稲荷大社の本殿もすべて焼失してしまいました。

しかし、戦乱後に少しずつ再建が進み、特に16世紀以降には京都の町も復興し始め、再び日本の重要な文化・経済の中心地としての地位を取り戻していきました。

荒廃からの復興を果たした当時の京都の人々のご苦労やご努力は、大変なものがあったでしょうね。


せやから皆さん、京都の人がちょっと『いけず』なこと言わはっても堪忍してあげて下さいね(笑)!

伏見の湧き水とお酒の関係

以前、このブログで、淀川の水運についてお話しましたが、今回は、伏見のお水についてご紹介したいと思います。

伏見に住む人が恵まれているのは、お水がとても良質だということなんです。

それは昔も今も変わってないようです。

伏見のお酒が美味しいのは、作り手の技術だけでなく、豊富な湧き水のお陰でもあるそうです。


地下から湧き出る「伏水(ふしみず)」と呼ばれる良質な軟水からあの伏見の地酒が作られます。

軟水で仕込む酒は、ミネラルが少ないため口当たりが柔らかく、まろやかな味わいになると言われています。

これは、日本酒の風味を引き立て、上品で繊細な味わいを生み出します​。また京料理にもとても合いますよね。

京料理で使われる昆布や鰹節の出汁と、伏見酒の甘みが調和し、絶妙なバランスを生み出すようです。伏見の人は、本当に幸せですよね。


伏見稲荷大社の参拝が済んだら、是非、伏見の酒蔵にも立ち寄ってみて下さい。

淀川の水運が伏見にもたらした恵み

淀川は、大阪府と京都府を結ぶ貴重な水運ルートです。

その淀川の支流として伏見市を流れているのが、「宇治川」や「桂川」です。

これら水運を利用する事で、伏見地域にはさまざまな物資が効率的に運ばれ、商業活動が活発になりました。


物資だけでなく人の移動も容易になったため、他の地域からの文化も流入し、伏見の文化的発展も促進されたみたいです。


また、伏見は、淀川の水運と東海道などの陸路の交差点でした。

特に、江戸から京や大阪への旅や参勤交代の途中で、伏見は中継地点として重宝され、多くの旅人や商人がこの地域を通過しました​​。

そのため、多くの宿が作られとても賑やかな街に発展していったようです。


淀川の川の流れは、われらが伏見地域に大きな恩恵をもたらしてくれてますね。
川の神様にも感謝ですね。

歴史が変わった瞬間を見届けた伏見の地

皆さん、歴史の時間に「鳥羽・伏見の戦い」について勉強された事があると思います。

時は、江戸末期(1868年)、新政府軍と幕府軍が4日間にわたって戦いました。

場所は、現在の南区・伏見区にあたります。

兵力は、新政府軍が5,000人・旧幕府軍が1万5,000人と言われており、兵力だけで見ると旧幕府軍が圧倒的に優勢でした。

その結果は、旧幕府軍の惨敗で幕を閉じました。

両軍が対峙した初日、薩摩藩の大砲が火を噴き、この砲声が合図となり戦闘が始まりますが、旧幕府軍は、不意の砲撃に多くの兵がなすすべもなく敗走。

また伏見奉行所も新政府軍の砲撃で弾薬庫が炎上し使用不能に。

翌日には、伏見区の淀のあたりまで撤退していた幕府軍に対し、新政府軍は、天皇の正式な軍であることを示す錦の御旗を掲げたのでした。

いつの間にか自分が朝敵になってしまったと悟った将軍徳川慶喜は、僅かな手勢だけを引き連れて江戸に逃走する始末でした。

長きにわたって日本の政治の中心を担ってきた徳川家がその権力を失墜させた瞬間は、なんとこの伏見の地で起こったんですね。

この鳥羽・伏見の戦いから始まったいわゆる戊辰戦争は、函館の地で旧幕府軍の降伏によって終結します。その後、明治新政府が樹立され日本の近代化が進んで行くことになります。


そんな歴史が変わった瞬間を見届けた伏見の地には、伏見城跡や鳥羽伏見の戦い記念碑などの観光スポットがあり、当時の戦闘の様子や歴史的背景を学ぶことが出来ます。

伏見稲荷大社をご参拝された後に、立ち寄ってみられてはいかがでしょうか。

伏見稲荷大社のご神木としるしの杉

皆さんこんにちは。

皆さん「初午」(はつうま)というワードをお聞きになったことはありますか?

「初午」とは、「2月の最初の午の日」のことで、この日に稲荷大神様が稲荷山にご鎮座になったと言い伝えられており、伏見稲荷大社にとっては特別な日となります。

また、この日に行われる全国各地の稲荷神社のお祭りのことでもあります。

祭事では豊作、商売繁盛、開運、家内安全を祈願します。ここ伏見稲荷大社をはじめ、大阪の玉造稲荷、愛知県の豊川稲荷など、各地の稲荷神社で盛大に祭がとり行われるようです。
伏見稲荷大社において、この初午の日にのみ授与されるのが「しるしの杉」です。

このしるしの杉を授かると家が栄えると言われており、一年で一回、この初午の日にしか入手できないレアなお守りです。

しるしの杉に使用される杉は、稲荷大社本殿の後方、千本鳥居が縦列している稲荷山に生える杉だそうです。


伏見稲荷大社の公式ホームページにも記載がありますが、平安時代も中期以降になると、紀州の熊野詣が盛んとなり、その往き帰りには、稲荷社に参詣するのが習わしとなっていて、その際には、稲荷社の杉の小枝=“しるしの杉”をいただいて、身体のどこかにつけることで道中の安全を祈願したと言い伝えられています。


交通事情の悪い当時、京都から熊野まで旅するのは、大変な危険が伴います。下手をすると途中で生命を落とすおそれもありました。いかに信仰のための旅とはいえ、途中で生命を落としてはなんにもならない、そこで、熊野詣の人々は道中の安全を神々に祈願するのですが、その時一番頼りにされたのが伏見稲荷大社であったようです。


やがて杉の葉が験(げん)としてご利益があるというのが一般化すると、稲荷山山中の「傘杉大明神」や「一本杉大明神」周辺に生えるご神木を手で折って持ち帰り自宅の鉢などで移植するものも出始めたそうです。


そこで伏見稲荷大社では、杉の枝を手折る行為を防止する目的や、杉育成の財源確保などの観点から、あらかじめ神社が定めたルールに則り、しるしの杉として奉製し、初牛の日のみに限って授与するようになったそうです。


ちなみに、2025年の初牛は、2月6日(木)で、2026年は、2月1日(日)です。「しるしの杉」を授かりに、伏見稲荷大社を参拝されるのはいかがでしょうか。

日本三大稲荷はどこ?

皆さんこんちは。

いかがお過ごしでしょう。

よくテレビなどのメディアで日本3大〇〇として取り上げられる食べ物や名所がありますよね。


例えば、うどんで言えば、「讃岐うどん」(香川県)・「稲庭うどん」(秋田県)のこの二つは有力とされていて、あと一つは、「五島うどん」(長崎県)・「水沢うどん」(群馬県)・「氷見うどん」(富山県)・「吉田うどん」(山梨県)などと諸説あるそうです。3大〇〇とはっきりと主張しているのだから、諸説あるというのも何か釈然としない気がしますが、、、、。

しかし、どのうどんも魅力的なうどんばかりですね。


実は、稲荷にも日本3大稲荷というものがありまして、こちらも諸説あるそうです。

ネットなどで調べてみますと我らが伏見稲荷大社(京都府)の他に、笠間稲荷神社(茨城県)・豊川稲荷(愛知県)・祐徳稲荷神社(佐賀県)がどうも有力とされているそうですが、その他にも、最上稲荷(岡山県)の公式ホームページにも、「三大稲荷」の記載があるようです。
あと五大稲荷という括りもあるそうで、この五大稲荷にいたっては、上記した稲荷以外にここに書ききれないぐらい候補がたくさんあるようです。


三大稲荷に話を戻しますが、三大稲荷の候補である豊川稲荷と最上稲荷は、実は、神社ではなくお寺だそうです。意外ですよね。


最上稲荷をWikipediaで調べてみますと、【岡山県内で唯一、明治初年の廃仏毀釈の被害を逃れた所といわれ、日蓮宗系「神仏習合」の祭祀形態を現在も残す。ここは、特別に神仏習合の祭祀形態が許された、仏教の流れを汲む貴重な稲荷として知られ、寺でありながら鳥居をそなえ、しめ縄の架けられた、神宮形式をあわせ持つ本殿(霊光殿)があるなど、神仏習合時代の形態を数多く残している。】との記載がありました。

廃仏毀釈の被害を免れるために当時の方々が存続のために奔走された姿が想像されます。ともかくこの歴史的な建造物が現在まで残され、毎年、多くの方が参拝に来られる場として現存しているということは何より喜ばしいことですね。


話が横道にそれましたが、この3大稲荷をネット検索すると、伏見稲荷大社は、どの記事をみても稲荷神社の筆頭格のように書かれていますので、三大稲荷から外れることはなさそうです。

知り合いがオリンピックでメダルを獲ったというような話でもないのに、地元の人間として、なぜか今回も誇らしい思いでいっぱいです。さすが、伏見のお稲荷さん。

伏見稲荷大社の拝礼作法~二拝二拍手一拝~

皆さんこんにちは。

初詣などで神社を参拝される際、本殿の前で拝礼をされると思いますが、どのような拝礼をされますか?

伏見稲荷大社の公式ホームページに、拝礼方法が掲載されていましたので紹介させて頂きますね。

①本殿の前まで来たら、鈴を鳴らしてその清浄な音で清めます。
②賽銭は投げずに近くから静かに入れます。
③約九〇度腰を折って二度深く頭を下げます。
④二度拍手(かしわで)を打ちます。
⑤静かに心中で祈願をします。
⑥もう一度頭を下げます。

二度頭を下げて、二度柏手を打ち、一度頭を下げるので、この拝礼の作法を「二拝二拍手一拝」と言います。これが神社でのスタンダードな礼拝の作法のようです。次回、神社を参拝される際のご参考になれば幸いです。


尚、今回は、詳しくご紹介しませんが、拝礼の前には、手水舎で手を清めることも忘れないようにして下さいね。この手水の作法も公式ホームページに写真付きで紹介されていますので、興味のある方はご覧になって下さい。


ちなみに島根県にある有名な出雲大社は、「二拝四拍手一拝」で、柏手を四回打つそうです。

どうしてこのような違いが生まれたのでしょうか?

興味が湧きますね。この出雲大社の拝礼方法については、江戸川乱歩賞作家で多くの歴史小説の名作を残している井沢元彦氏が、「卑弥呼伝説」という作品の中で独自の推察をしています。歴史小説がお好きな方は、是非、読んでみて下さい。とても面白いのでおすすめです。

なんと、おみくじ32種類!

皆さん、こんにちは。

毎年、初詣に行くと必ずおみくじを引くという方も多いのではないでしょうか。

ところで伏見稲荷大社のおみくじがとてもユニークだということを知っていましたか?

一般的なおみくじは、「大吉・中吉・小吉・吉・末吉・凶・大凶」などの種類の運勢の吉凶の順番が書かれてありますが、伏見稲荷大社のおみくじでは、その運勢の吉凶の順番がなんと32種類あるそうです。すべて書ききれないので、特徴的なものをいくつかあげると、「大大吉」・「凶後大吉」・「凶後吉」・「向大吉」・「小凶後吉」・「吉凶未分末大吉」・「吉凶不分末吉」・「吉凶相交末吉」などがあります。「大大吉」なんて一度、引き当ててみたいものですね。


そして、この運勢の吉凶の順番だけでなく、神様からのメッセージの基となる和歌や和歌から読み取れる総合的な運勢解説そして恋愛、仕事、健康、学業、家庭運など、個々のテーマごとに深く掘り下げたアドバイスも盛り込まれています。更に更に、稲荷神社ならではの農業や商売繁盛に関する内容も充実しています。この完成度の高さには、本当に驚かされます。


それゆえ伏見稲荷大社のおみくじは、その内容の豊富さと精巧さで他の神社とは一線を画しているんです。


私は、ここ伏見稲荷大社の神職の方々や氏子の方々が人々の生活に密接に寄り添ってきた歴史の反映であり、結果として、伏見稲荷大社のおみくじはただの運勢占いではなく、日々の生活や人生の指針を示し、人々の幸福を祈念する重要な要素になったのではないかと思います。


どうですか?皆さん、お稲荷さんへの初詣の際は、おみくじを引きたくなったのではないでしょうか?

名物!スズメの丸焼き

皆さんお元気ですか。

ところで皆さん、伏見稲荷大社の参道でとても珍しい料理が食べられるのをご存じですか?

この珍しい料理というのは、スズメの丸焼きです。

野山で狩猟された天然のスズメを串に刺し、店頭で頭ごと焼いた料理です。

焼き鳥と同じようなたれをつけて焼き、焼き上がりに山椒を振って食べます。          伏見に住んでいる人が普段から食べている訳ではないのですが、参拝客の方は香ばしい匂いにつられ、またその珍しさもあってついつい買い食いしてしまう方も多いようです。 私もこれまでたくさんの神社を訪れましたが、伏見稲荷大社以外で参道でスズメを焼いている光景に出会ったことはありません。

しかし、なぜここ伏見稲荷大社では、スズメの丸焼きが料理として振舞われるようになったのでしょうか?                                          それには、伏見稲荷大社の祭神である宇迦之御魂神が五穀豊穣を祈る農業の神様でもあることが関係しています。                                       諸説あるそうですが、スズメはかつて農業の害鳥とされ、農作物を守るために駆除の対象とされていました。                                         また、日本の神道では動物の命を頂く行為そのものが自然の摂理の一部であると考えられ、これを感謝と共に受け入れる文化があったため、このスズメの丸焼きが食されるようになったようです。また食材が乏しかった昔は、貴重なタンパク源だったのかもしれませんね。                                     ちなみにこのスズメの丸焼きに使用されるスズメは、すべて国産だそうです。提供されているお店の方は、地元京都だけでなく、香川、新潟、長野などの猟師さんから取り寄せておられるそうです。
見た目が少しグロテスクなので抵抗がある方もいらっしゃるかもしれません。          その気になるお味のほうは、野鳥なので独特な臭みは少しあるものの、パリパリとした食感でとても美味しいそうです。                                        特に、寒さが増してくる12月頃が脂が乗って一番美味しいそうです。

皆さんも一度チャレンジされてはどうでしょうか?