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なんと、おみくじ32種類!

皆さん、こんにちは。

毎年、初詣に行くと必ずおみくじを引くという方も多いのではないでしょうか。

ところで伏見稲荷大社のおみくじがとてもユニークだということを知っていましたか?

一般的なおみくじは、「大吉・中吉・小吉・吉・末吉・凶・大凶」などの種類の運勢の吉凶の順番が書かれてありますが、伏見稲荷大社のおみくじでは、その運勢の吉凶の順番がなんと32種類あるそうです。すべて書ききれないので、特徴的なものをいくつかあげると、「大大吉」・「凶後大吉」・「凶後吉」・「向大吉」・「小凶後吉」・「吉凶未分末大吉」・「吉凶不分末吉」・「吉凶相交末吉」などがあります。「大大吉」なんて一度、引き当ててみたいものですね。


そして、この運勢の吉凶の順番だけでなく、神様からのメッセージの基となる和歌や和歌から読み取れる総合的な運勢解説そして恋愛、仕事、健康、学業、家庭運など、個々のテーマごとに深く掘り下げたアドバイスも盛り込まれています。更に更に、稲荷神社ならではの農業や商売繁盛に関する内容も充実しています。この完成度の高さには、本当に驚かされます。


それゆえ伏見稲荷大社のおみくじは、その内容の豊富さと精巧さで他の神社とは一線を画しているんです。


私は、ここ伏見稲荷大社の神職の方々や氏子の方々が人々の生活に密接に寄り添ってきた歴史の反映であり、結果として、伏見稲荷大社のおみくじはただの運勢占いではなく、日々の生活や人生の指針を示し、人々の幸福を祈念する重要な要素になったのではないかと思います。


どうですか?皆さん、お稲荷さんへの初詣の際は、おみくじを引きたくなったのではないでしょうか?

名物!スズメの丸焼き

皆さんお元気ですか。

ところで皆さん、伏見稲荷大社の参道でとても珍しい料理が食べられるのをご存じですか?

この珍しい料理というのは、スズメの丸焼きです。

野山で狩猟された天然のスズメを串に刺し、店頭で頭ごと焼いた料理です。

焼き鳥と同じようなたれをつけて焼き、焼き上がりに山椒を振って食べます。          伏見に住んでいる人が普段から食べている訳ではないのですが、参拝客の方は香ばしい匂いにつられ、またその珍しさもあってついつい買い食いしてしまう方も多いようです。 私もこれまでたくさんの神社を訪れましたが、伏見稲荷大社以外で参道でスズメを焼いている光景に出会ったことはありません。

しかし、なぜここ伏見稲荷大社では、スズメの丸焼きが料理として振舞われるようになったのでしょうか?                                          それには、伏見稲荷大社の祭神である宇迦之御魂神が五穀豊穣を祈る農業の神様でもあることが関係しています。                                       諸説あるそうですが、スズメはかつて農業の害鳥とされ、農作物を守るために駆除の対象とされていました。                                         また、日本の神道では動物の命を頂く行為そのものが自然の摂理の一部であると考えられ、これを感謝と共に受け入れる文化があったため、このスズメの丸焼きが食されるようになったようです。また食材が乏しかった昔は、貴重なタンパク源だったのかもしれませんね。                                     ちなみにこのスズメの丸焼きに使用されるスズメは、すべて国産だそうです。提供されているお店の方は、地元京都だけでなく、香川、新潟、長野などの猟師さんから取り寄せておられるそうです。
見た目が少しグロテスクなので抵抗がある方もいらっしゃるかもしれません。          その気になるお味のほうは、野鳥なので独特な臭みは少しあるものの、パリパリとした食感でとても美味しいそうです。                                        特に、寒さが増してくる12月頃が脂が乗って一番美味しいそうです。

皆さんも一度チャレンジされてはどうでしょうか?

狐の嫁入りと雨の表現

皆さん、こんにちは。狐は、「人を化かす」存在として昔話や地域の伝承として数多く登場しているようですね。天候の現象の一つに「狐の嫁入り」というものがありますが、晴れているのに雨が降るという矛盾した状況が、人間の感覚を混乱させることから、狐が何らかの魔法や不思議な力を使っているように考えられたからなのでしょうか。


この他にも諸説あるようで、多くの地域で伝えられる民話では、狐が嫁入り行列を行う際、その行列が人間の目に入らないようにするために、不思議な天気を引き起こすというもので、晴れと雨が同時に起こるという奇妙な状況は、狐の嫁入りの隠れ蓑として解釈されたという説があります。


また、狐の嫁入り行列は、提灯を持った華やかな光景とされていて、晴れている空は提灯の灯りのように輝き、雨は嫁入りを人目につかないよう隠すためのカーテンになぞられたという説もあるようです。


いずれにせよ、狐は、伏見稲荷大社では神の使いとされているように、やはり神秘的な存在として扱われていますね。


ところで、日本には、雨を表す多彩な表現があります。

例えば季節を表す表現では、時雨(しぐれ)・春雨(はるさめ)・五月雨(さみだれ)・秋雨(あきさめ)・氷雨(ひさめ)など。雨の強さや振り方を表す表現に、霧雨(きりさめ)・土砂降り(どしゃぶり)・横殴りの雨(よこなぐり)など。

感情や文学的な表現に、涙雨(なみだあめ)・菜種梅雨(なたねづゆ)・虎落笛(もがりぶえ)・慈雨(じゆ)など。

思いつく呼び名だけでもこれだけありますが、文献に登場する表現や地方の方言などを含めると100以上の表現があるそうです。

農耕民族であり古来より自然環境や自然現象に感謝と畏敬の念を持ち続けてきた日本人ならではの感覚ではないでしょうか。

狐の好物は油揚げ?

皆さん、こんにちは。「きつねにつままれた!」というフレーズを耳にすることはありませんか?この慣用句は、何が起こったのか分からず混乱したり、不思議な体験をしてぼんやりしたりしている状態を指すようです。

 

以前のブログで、伏見稲荷大社においては、狐が農業の守護神である稲荷大神の使いであるとして崇められていることをお伝えしましたが。

 

本日は、その狐の習性についてお話しさせて頂きます。

自然界において狐は夜行性であり、単独行動を好むことが多いようです。

彼らは敏捷で賢く、狩りの際には鋭い嗅覚と聴覚を使います。そのような習性にちなんでか、日本の文化においては、特にその賢さや神秘性が注目され、妖怪や人を化かす伝説としても描かれることが多いようです。

 

古来より、狐は特殊な能力を持つ動物とされていたようですね。
自然界のキツネは雑食性で、食生活は非常に幅広いようです。

 

主に小型哺乳類(ネズミやウサギなど)を狩る肉食傾向が強いのですが、昆虫や鳥類も食べるそうです。また、果実や木の実といった植物性の食物も食べることがあり、季節や環境によって食事の内容が変わります。

 


都市部に生息するキツネは人間の残した食べ物を探すこともあり、適応力の高い動物としても知られています。


狐の好物は「油揚げ」とされお供えする方も多いのですが、実際は、油揚げは食べないようです。

 

油揚げの材料は大豆ですが、この大豆は農業や食物の恵みを象徴する食材と見なされたことや油揚げの「油」自体が、豊かさや栄養を連想させることから、そのような伝承となったのかも知れませんね。

 

稲荷大神は、農業の守護神でもありますので納得できる話ですね。
私ども福乃家では、そんな狐グッズをたくさんご用意しています。

 

狐グッズが身の回りにあれば、高い適応力が身に付くかも知れません。(笑)

お稲荷さんと白狐の気になる関係

伏見稲荷大社の神は、農業や商業の神である稲荷神(宇迦之御魂神)です。

今回は、このご祭神と狐(キツネ)の関係についてご紹介させて頂きますね。

 

皆さんが、伏見稲荷大社を訪れた際には、たくさんの狐(キツネ)の像を見ることができます。狐は、稲荷神の使いでメッセンジャーの役割を果たしていると言われています。

 


8世紀、奈良時代の頃、秦伊呂具(はたいろぐ)という豪族が伏見の山の近くで狩りをしていた際、白い狐が突然姿を現しました。

その狐は田畑に現れ、口に稲の穂をくわえていました。秦伊呂具は、白狐が稲穂をくわえて持ち帰る姿を「神の使い」と解釈しました。

稲作の神、すなわち稲荷神の使いであると信じ、自らの土地に神社を建立し、米を守る守護神として稲荷神を祀ることを決めました。

これが、伏見稲荷大社の起源とされています。(諸説あり)


よって狐は、単なる動物ではなく、神聖な存在であり、稲作の神である稲荷神の使いとして、五穀豊穣や商売繁盛をもたらすシンボルとして崇められました。


そのため、境内の狐の像には、稲穂をくわえているものもあります。

また、中には巻物をくわえている像もありますが、巻物は学問や知識の蓄積を表します。

 

稲荷神が学問を積み深い知識を得て、商売・事業の繁栄を授ける存在であることを示しています。

この他にも、玉や鍵をくわえている像もありますので、参拝の際には、狐が何をくわえているかをよく観察してみて下さい。

 

また、それがどのような意味を持つのかを調べるのも面白いと思いますよ!
福乃家は、そんな狐をモチーフにした狐グッズをたくさん取り揃えています。

白い狐がとても可愛い表情で、皆さまのご健勝を見守ってくれます。

是非、ご覧になって下さい。

パワースポットは、なぜ生まれたの?

皆さんこんにちは、いかがお過ごしでしょうか。

以前のメールで、伏見稲荷大社が京都屈指のパワースポットであることをお伝えしましたが、今回は、パワースポットがなぜ生まれたのか?

 

そもそもパワースポットになぜ人が惹きつけられるのか?など、その背景について調べてみました。


パワースポットは、神道の考え方である自然を神聖視し、山、川、森などを神々が宿る場所と考える「自然崇拝」の伝統から生まれたようです。

 

また、神道のみならず仏教の発展と修験道(山岳信仰)の影響も大きいみたいですね。

修験道では山を修行の場として、霊的な力を得られる場所と考えられていたようです。

これにより、山岳や特定の寺社がスピリチュアルな力を持つ場所とされ、現代のパワースポットの概念に繋がっているとのことです。

 


ところで皆さん。映画 「剣岳~点の記~」は、ご覧になられましたか?

あらすじは、明治末期、当時その険しさから未踏峰とされていた剣岳ですが、陸軍参謀本部陸地測量部の測量官(主演 浅野忠信)に剱岳への登頂と測量の命令が下ります。

 

それは日本地図最後の空白地帯を埋めるという重要かつ困難を極める任務でした。

ガレ場だらけの切り立った尾根と悪天候・雪崩などの厳しい自然環境の中、とうとう山頂への登頂を果たすのですが、なんとその山頂からは、錫杖(しゃくじょう)や鉄剣といった修験者が修行で使う道具が発見されるのでした。

 

剣岳は、その厳しさから修験者の修行の場としての特別な場所、いわゆる聖地とされていたようです。

修験者は山岳を巡り、厳しい修行を通じて悟りや霊的な力を求めていたということでしょうかね。

 

そんなパワースポット(聖地)に辿り着きたいという願望は、今の現代人に引き継がれているのかもしれません。

必見!最強のパワースポット

伏見稲荷大社は、京都屈指のパワースポットと言われています。

 

そんな伏見稲荷大社ですが、今回は、いくつか有名なスポットがある中で、最強のパワースポットとされている熊鷹社をご紹介させて頂きます。

 

ここは、標高233mの稲荷山のふもとに近く、本殿から20分程で行ける場所ですので立ち寄る人が多いスポットです。

 

有名な千本鳥居を抜けると奥社奉拝所がありますが、奥社奉拝所の北側(千本鳥居を抜けて左側)にある鳥居は、稲荷山の山頂に繋がっています。

 

その山頂の途中に、この熊鷹社があります。

熊鷹社に祀られている熊鷹大神は、勝負の神様と言われ、ここぞという大勝負をする時に参拝するのが良いとされています。

 

近くに竹屋というとても趣のある古めかしいお店がありますが、そこでろうそくを買ってお供えしましょう。たくさんのろうそくが灯されていてとても幻想的な雰囲気です。この神社は、谺ヶ池(こだまがいけ)という池のほとりに建っています。

 

この池にちなんだ古くからの言い伝えがあるのですが、それは行ってみてからのお楽しみという事にさせて頂きます。

 


近々、大勝負を控えているという方、また、この古くからの言い伝えに興味を持たれた方は、是非とも足を運んで下さい。

ご利益があるかも知れません。

鳥居と言えば、あの鳥居も素晴らしい!

皆さんこんにちは。

われらが伏見稲荷大社は、なんといっても千本鳥居で有名ですが、鳥居と言えば広島の厳島神社も海の中にそびえたつ大鳥居が有名ですよね。

 

そんな厳島神社の大鳥居ですが、令和元年6月より行われていた大修理工事ですが、令和4年12月に竣工したとのニュースは記憶に新しいところです。

 


この鳥居は、1875年に再建された鳥居だそうですので、約150年もの間この地で参拝客を迎え入れ続けたことになります。


厳島神社の鳥居は木材が使用されており、老朽化や木材の腐食による耐久性の問題があり、今回、大修理工事が行われました。


この度の大修理工事では、木材内部の腐敗状態を正確に診断するための非破壊検査技術や、木材を長期間保護するための薬剤注入技術など最新の技術が用いられたそうです。

 

また、補修箇所の接合部には強度を高めるための金属ピンや樹脂素材が使用され、耐久性を向上させています。

まさにこれまで伝承されてきた伝統建築技術と最新の科学技術の融合により完成に至ったことになります。

これらの技術の融合によりこの厳島神社の鳥居は、大幅に耐久性が向上したようです。

次回の大修理は、いつになるのでしょうか?気になるところですね。


ちなみに、最初に厳島神社に大鳥居が建立されたのは、1168年と伝えられています。

なんと850年以上前ですね。

そんな遥か昔に、あれだけの建築物を建立した当時の人の技術と信仰心には感服させられますよね。

あの天下人も鳥居を・・・。

皆さんこんにちは。

いかがお過ごしでしょうか。京都にお住まいの方はよくご存じかと思いますが、昔、伏見には伏見城という桃山文化を象徴する豪華なお城が存在していたんです。

江戸時代初期に廃城となり、建材は他の建築物に転用されたため現在は存在していませんが・・・。

 


ところでこの伏見城を建てた人物は誰かご存じですか?

 

実は、天下統一を果たした、関白豊臣秀吉なんです。

関白秀吉は、晩年、この伏見城を居城としました。

伏見城は、外交や軍事の相談がなされ、政治を行う拠点となっていたんですね。

  

城には金箔や豪華な装飾が施されていたそうで、朝廷の有力者や諸大名をもてなす場としても使用されたそうです。


当時の宴の風景を見てみたいものですね。

やっぱり京料理と伏見のお酒が振舞われたのでしょうね。
また、秀吉がその生涯を閉じたのもこの伏見城でした。あらためて、伏見ってすごいところですね。

 


そんな天下統一を果たした関白秀吉ですが、母の病気平癒を祈願するために伏見稲荷大社へ鳥居の奉納を行ったことが伝えられています。

 

百姓出身で足軽から身を起こし天下人となった秀吉もすごい人ですが、その天下人からも敬われるお稲荷さんもやっぱりすごい神様ですね。

伏見稲荷大社の鳥居はいくつある?

鳥居は、神社へ通じる門や、シンボルとして建っているだけでなく、神社の内側にある神聖な場所(神域)と、人々が暮らす外側の場所(俗世間)の境界を表しています。

このほかにも、鳥居には神社の中に不浄なものが入らないようにする「結界」としての役割もあるといわれています。


鳥居の下を通るときは、神聖な場所に入らせていただく気持ちを込めて本殿に一礼してから進みましょう。


さてその鳥居ですが、伏見稲荷大社にもこの入口を意味する鳥居は、ご本殿の正面にあります。しかし、この鳥居以外に伏見稲荷大社には、有名な千本鳥居をはじめたくさんの鳥居が存在します。現在は約一万基の鳥居が稲荷山の参道全体に並んで立っています。

 


実は、この鳥居は、一般の方の奉納もありますが、お商売をされている方や会社を経営されている方から奉納されています。

五穀豊穣や商売繁盛、また家内安全を祈願され、その願いが叶ったお礼として神様に奉納されたものです。

この奉納は、なんと江戸時代から始まったと言われています。古くから、多くの方々から信仰を集め、そしてご利益をもたらしてきたことがよく分かりますね。

 

なお、この鳥居の奉納ですが、初穂料を納めれば誰でも奉納することができますよ!

 
ちなみにその初穂料ですが、奉納場所や鳥居のサイズによって変わるそうです。気になる方は、一度、ネットで調べてみて下さい。