日本人はじめての新婚旅行

みなさんこんにちは。

以前のブログで豊臣秀吉が伏見の地と稲荷大社に関わりが深い人物であることをご紹介しました。

関白秀吉以外にも伏見に関りが深い歴史的人物と言えば、坂本龍馬もその一人ではないでしょうか。

全国を飛び回る龍馬は、交通の便が良いこの伏見の地にある寺田屋を定宿としていたことはよく知られています。

また龍馬が、幕末の慶応 2年 1月23日 (1866年 3月9日)伏見奉行 の捕り方に襲撃された、いわゆる「坂本龍馬襲撃事件」もこの寺田屋で起こりました。この襲撃で龍馬は、左手と胸部、そして額にも深い傷を負ったと言われています。

そんな龍馬の功績は薩長同盟の仲介役であったり、日本で初めての会社(カンパニー)である海援隊を組織するなど輝かしいものがありますが、日本人で初めて新婚旅行に行ったことでも知られています。

薩摩藩の西郷隆盛のすすめで傷を治すのにとても効能が良いとされていた鹿児島県霧島市にある塩浸温泉(しおひたし)へ奥さんのおりょうを伴い湯治を兼ねて旅行したことが記録に残されています。

この温泉に18日間逗留したそうですが、その効果があったのかやがて龍馬の傷は癒え、再び以前のような元気な姿を取り戻しました。

この塩浸温泉については、国民的作家の一人である司馬遼太郎氏がその代表作 「竜馬がゆく」の中で書き記しています。

執筆にあたり、司馬氏がこの塩浸温泉を取材しようと鹿児島県を訪れるのですが、鹿児島県の人でさえこの温泉のことを知る人がほとんどおらず、温泉宿もすべて廃業してしまっていました。

ともかくタクシーで悪路を飛ばし現地に向かってみると山奥に湯治場が一軒だけ残っており、昔のことに詳しい人に話を聞いたところ、龍馬が訪れた時には多くの湯治客が訪れ、温泉宿もたくさんあってとても賑わっていたようですが、あることがきっかけで湯治客がめっきり減り、温泉街もすっかり寂れてしまったそうです。


皆さん、なぜだか分かりますか?

実は、抗生物質(ペニシリン)がアメリカから輸入されるようになり、この温泉に浸からなくても傷を治すことができるようになったからだそうです。せっかくの龍馬ゆかりの温泉が、、、、。なんだか皮肉な話ですね。


ちなみに、この塩浸温泉ですが、現在では立派な入浴施設も復活し、誰でも日帰り入浴や足湯ができるようになっており、「塩浸温泉龍馬公園」として整備されています。また、竜馬とおりょうの銅像も建っており、当時、龍馬が入浴したとされる浴槽跡も残っています。


龍馬ファンの方は、一度は行ってみたいスポットではないでしょうか。